冬の日

 サク、サク、サク。ボクが一歩ずつ歩くと、そういう音がする。地面が白くて軽いものに覆われているからだ。サク、サク、サク。何かいい気分だけど、足許がちょっと、冷やっとする。寝転がったら面白そうだけど、全身が冷やっとしてしまうだろう。
 ここはどこなのだろう。何となく歩いていてたどり着いた、知らない場所。ご主人様、どこにいますか。探しまわってたどり着いた場所。同じ格好をした、ご主人様のような人達がたくさんいて、部屋にこもって誰かの話を聞いているようだ。まあ、ボクみたいな人もいて、部屋の外を眺めてたり、隠すように手許で何かをいじってる人もいるみたいだけど。
 すると突然、何かがボクの視界の一部を遮った。白色をして、ふわりふわりと落ちてくるもの。ご主人様は「ゆき」と言ってた気がする。
 すっと、太陽が雲のあいだから顔をのぞかせた。すると地面や、「ふわりふわりと落ちてくるもの」が銀色に輝き出す。そうだ、ボクとご主人様が出逢ったのはこういう日だった。ボクと同じ、銀色の日。
 その前のご主人様はひどかった。毎日ボクを叩いて、時には熱いものを押し付けられたりした。機嫌が悪いとご飯をくれないこともあった。そんなひどい生活が嫌で、ボクは逃げ出した。そして出逢ったのが、今のご主人様だ。
 そうだった。突然消えてしまったご主人様を追い掛けて、微かな匂いを追って、ボクはここに来たんだった。ご主人様、どこにいるの。
 ふと、目の前にゆらゆら揺れるものが現れる。ふわふわして、波打つように揺れる。捕まえたい、そんな本能に逆らえず、ボクはそれに飛びかかった──。

***

「きゃっ」
 雪が降る中に日差しが差し込み、銀世界となっていた高校の中庭。ネコジャラシを持っていた少女が飛びかかってきた猫に驚き、雪の上に尻もちをつく。
「もう、何やってるのよ、翠は」
 それを見ていたもう一人の少女が呆れたように言う。髪を三つ編みにした少女、本陣 歌穂である。
「でも、猫と言ったらネコジャラシでしょ?」
 一方、猫と戯れているポニーテールの少女は鶴里 翠。二人とも、この高校の二年生。アクティブ過ぎる翠を歌穂が止めるということが多いが、お互いをそれぞれ、親友だと思っている。
「でもそのうち、引っ掻かれるわよ?」
「いいもん、可愛いから許す。可愛いは正義! ──きゃっ」
 ぽす、と白い塊が不意に翠へと当てられる。そちらを振り返ると、黒髪を伸ばした少女が雪の塊を手に、立っていた。
「あ、さくらちゃん」
「先輩方、何やってるんです?」
 徳重 さくら。一年生だが、二人とは親交が深い。
「えっと、猫可愛いよね」
「はい、そうですね♪」
「……雪玉を当てられた件はいいの?」
「可愛いから許す! だってさくらちゃんは、MSWのリーダーだもの!」
 MSW。名古屋・栄を拠点に活動する、地元密着型のアイドル六人組である。その中でさくらは不動の一番人気で、この高校の中にもファンは少なくない。受験生の中には「さくらがいるから」この高校を志望する者もいるらしい。軽い気持ちで受けられるほど、この高校の受験難易度は低くないのだが。
「いや、リーダーは梓ちゃんですよ?」
「そうだっけ? でも可愛さ一番はさくらちゃんなのだ!」
 可愛くてたまらない、といった表情で翠はさくらをぎゅっ、と抱きしめる。抱きしめ、愛でるように背中をさする。
「猫はいいの?」
 歌穂が聞く。
「さくらちゃんの方が可愛いもん!」
「まったく、もう……」
 すると歌穂は足下の雪をかき集め、丸く固めると翠へぶつけた。
「かほりん、何するの!」
「別に? てかかほりんっての、止めてって言ったよね?」
「あれあれ、嫉妬?」
「何で嫉妬するのよ」
 ぼす、と歌穂に対しても雪の塊が当てられる。
「ちょっと、徳重さん?」
「当たりました♪」
「もう、さくらちゃん可愛いんだから。えいっ」
 翠も雪玉を投げ、雪合戦が始まった。完全に猫は蚊帳の外である。
「にゃあ」
 寂しそうに一鳴きするが、それでも三人は雪合戦に夢中。高校の中庭でやっている訳だから、他の生徒の注目も集まる。それでも雪合戦は止まらない。
「あっ」
 さくらの投げた雪玉がコントロールを失い、通りがかった女子生徒に当たる。
「ごめんなさい! ──あ、セーラ先輩」
 海部 セーラ。翠と同じクラスで、校内一、いや名古屋一とも言われる高密度・広範囲の情報網を持っていると言われる女子生徒である。どういう縁か、さくらとも親しい。
 セーラは雪を払うと、近くにいた猫を抱き上げる。
「タケ、こんなとこにいたのね」

***

 何の偶然か、ご主人様と再会することが出来た。タケというボクの名前。ご主人様に与えられたもの。「主人に懐くなんて俺達らしくねぇ」とか言われたけど、でもボクにとっては一番大好きな人だから。
「ごめんね、黙っていなくなったりして」
 ご主人様が何を言っているのか、ボクにはよく判らない。けど、雰囲気で何となく、謝ってる気はした。
「でもね、私は事情があって帰れないんだ。家では、私だけに懐いてたよね。だから、家に帰るか、他の人に引き取ってもらって」
 ご主人様がご主人様で無くなってしまう。そんな予感がした。
「にゃあ」
 ご主人様じゃなきゃ嫌だ。それが直接、ご主人様に伝わればいいのに。

***

「さくらちゃんは、無理よね?」
 猫を抱えつつ、セーラが聞く。
「仕事が忙しいので難しいと思います。家にウサギもいますし」
 猫とウサギを一緒に飼うことは一般的にNGである。小鳥ならなおさら。
「じゃあそこの二人組──」
 セーラは視点を遠くへ。中庭にあるベンチで仲良くお弁当を食べていた男女に合わさる。
「森岡さん達は、どうかしら?」
 突然話題を振られ、えっ、と驚きの表情を見せる二人。森岡 翔子と藤枝 勝。
「何のことでしょうか」
「この猫、飼えないかなって」
 森岡は藤枝と顔を見合わせる。
「忙しいから無理かな。勝くんもそうだよね?」
「そうだね、ちょっと無理かな」
「そうでしたね、アパートで一緒に住んでるんでしたよね」
 えっ、と二人が固まる。
「なんで知って──そっか、海部先輩だから知っててもおかしくないか」
「私に隠し事は通用しないわよ?」
「まあ、そんな訳で、無理です」
 セーラの視線が翠に向く。
「鶴里さんは、どう?」
 翠は少し考え、
「大丈夫ですよ?」
 あっさり了承した。
「猫、買ってみたいなぁって思ってたし、この子可愛いし」
「親からは、反対されないの?」
「押し通しますけど」
「強いわね」
 セーラから、翠は銀色の毛並みをした猫を受け取る。
「よろしくね、タケ」
 胸元に抱えて、思い切りぎゅーっと抱きしめる。
「ちょっと、猫苦しそう!」
 歌穂が翠を止めようとした時、チャイムが鳴った。
「あ、昼休みも終わり、なんですね」
 さくらが寂しそうに呟く。
「そういえば、その猫、どうするんです?」
「どうするって、抱えてくけど?」
「授業なのに、ですか?」
「うん」
「先生は?」
「この子の魅力で悩殺よ?」
「翠先輩は、すごい自信家ですね」
 にゃあ。猫が一声鳴いた。

おわり