とある小説家の結末

「よい作品を書き続けていくのに、何かコツなどありますか?」
「そうですね、コツというより、作品の中に入り込んでいくのが私のスタイルですか」
「作品の中に入り込んでいく、と」
 とある雑誌で近年ヒット作を飛ばし続けている小説家の特集が組まれることになり、女性記者はその小説家のインタビューを行っていた。
「それは、その、登場人物が勝手に動いていくということですか。例えば『図書館戦争』シリーズの有川 浩さんが言っているような感じで」
 同じようにヒット作を飛ばし、似ていることをインタビュー記事で話している作家の名前を上げることで、よりその話題を掘り下げる意図が女性記者にはあった。
「それよりも、もっと深いですね」
「深い?」
「私自身が、溶け込んでいくのです」
 溶け込む、と女性記者はメモする。ICレコーダは録音状態で机の上に置いてあり、後で文字には書き起こされるが、キーワードとなるものは別にメモしていくのが基本。あらかじめ記事の方向性を把握しておくためだ。
「有川さんの場合は、キャラクター達をある程度は誘導しつつも自由に動かしていく、と言ってましたよね。つまり傍観者です。私の場合は、自分がキャラクターの一人になるんです」
「つまり、作品の中に×××××さんが登場してくると」
「主人公のキャラクターに、乗り移っているとでもいうのでしょうか」
 主人公に乗り移りながら執筆するという作家は別に珍しくはない。しかし、奇妙な雰囲気を、記者は感じた。
「書く時に限らず、作品に触れる時も同じなんですよ」
「同じ、と」
「他の人の作品でも、私は溶け込んで物語を楽しみます。太宰 治とか、結構簡単に溶け込んでいけますね。あとは先ほど言われた有川さんの作品も溶け込みやすいです」
「ドラマもですか?」
「狭い意味のドラマ、実写ドラマだとしたら、残念ながら難しいです。そこには、俳優さん達の魂が詰まってますから。俳優さんの体と魂の間にほとんど隙間はありませんよ。だって、自分達の体ですからね。演じているキャラクターがあるとはいえ」
「例えば『リニア新幹線の憂鬱』はドラマ化していますが」
 東京・名古屋間、時間にして一時間の間の人々の感情が絡み合って一つの大きな結末に繋がっていく、この小説家の代表作ともいえる作品。まだ建設が始まったばかりの中央リニア新幹線をリアルに描写したことも書評家からの好評価を得た理由である。ドラマ化に当たっては人気俳優が多数起用され、リニア建設主体のJR東海全面協力のもと、実際の営業運転に向け走行試験が行われている車両をロケハンに使うなど、完成度の高い作品へと仕上がった。
「最低限のチェックだけはしましたが、あとは編集さんに任せています」
 ここは調整の関係でカットするかもしれないと思ったが、話題を引き出す材料にするため、記者は続ける。
「となると本編自体は見ていないと?」
「目は通しましたが、どうこう言える立場ではありませんね。私の受け方がちょっと、おかしいので」
 関係各所との調整の関係でここは使えないと、女性記者は思った。特集ではドラマのことについても触れる契約になっており、販促のための宣伝費ももらうことになっている。マイナス方向に傾くような表現はあまり使えない。
「それでは、アニメの場合は?」
 不自然にならないよう方向性はそのままに、話題を少しだけずらす。
「声優さんの魂がしっかり結びついているので、そちらも難しいですね。もちろん実写ドラマと比べたら映像と声の結びつきですからね、割り込みやすいといえばそうですが」
「話を戻しますと、主人公に乗り移った後、どう執筆は進んでいくのですか」
「気が付いたら出来てますね。いや、本当に。誰かに見てもらうとか、録画してもらうとかやって欲しいぐらいですが、そうすると書けないんですよね。独りじゃないと主人公に入れないし、物語に自分が結びついていかない。──いや、実はゴーストライターがいるとかじゃないですよ? プロットだけ渡して他の人に本文を任せるとか、そんなことはしていません。当たり前ですけどね」
 そういえば前、とある作曲家が実際の作曲を別の人物に任せていた事案はあったな。女性記者は思い出す。状況を色々変えると、ミステリーにもありがちな設定だ。
「作品と作家が密接に結びついた過程を経なければいい作品は書けない。私はかなり極端な例だと自覚していますが、それでもそんな要素は誰にでもあるんじゃないかと、それは思っています」
「えーでは、個々の作品について聞いてもよろしいですか」
「執筆スタイルがアレだもんで答えられない部分もあるかもですが」
「最初に代表作『リニア新幹線の憂鬱』について、発想はどこから?」
「昔ね、深夜に地元の放送局のドラマを見たんですよ。もちろん私はそういうのを楽しめないクチですが、確か最終電車についてのドラマだったかな、発想が面白いなと。もちろん最終電車となれば深夜なので撮影の手配がしやすいとか、そういう事情はあるんでしょうけど、──」

***

「次の作品、主人公が死ぬ話にしようじゃないかと編集長から提案が出ているんですが」
 雑誌のインタビューから数ヶ月後、とある小説家は継続して単行本を出させてもらっている出版社の編集部で、担当編集からこう言われた。
「主人公が死ぬ話、ですか」
「×××××さんの作品にはなかったから、一度やってみて欲しいと」
 小説家は、乗り気ではない。担当編集にもそれは十分伝わる。
「何か、やりたくない理由でも?」
「……雑誌のインタビュー、読みましたか?」
「もちろん。担当編集としては他社の雑誌であっても目を通しておくべきものですから」
 彼は自分とちゃんと向き合っているから解ってくれる。小説家はそう感じ、安心した。
「主人公が死ぬ話、それを書いたとき、主人公に取り憑いている私自身がどうなるか、想像がつかないのです」
「……なるほど、一度編集長に──」
「そんなオカルトありえるか」
 担当編集を遮ったのは、いつの間にか近くに来ていた編集長。
「×××××君の作品は基本的に一人称が多いんだよ。確かに主人公から見た描写については僕も評価する。今まで見た作家の中で最高と言っていい。でも、そればかりでは読者も飽きてしまう。実際に世間に出るかはともかくとして、新境地を開いておくのもよいと思うんだ」
「……判りました、やってみます」
 とある小説家はゆっくりと、編集部を去っていった。
 数日後、新聞の社会面に大きく見出しが載る。
『小説家×××××、自宅で死亡 遺体に目立った外傷なし 警察、事故と事件の両面で捜査』
 もちろん、それは編集部の耳にも届く。新聞を読んだからというのはもちろんだが、もし編集部の誰もが新聞を目にしていなかったとしても、ファンからと思わしき電話が多数、編集部に掛かってきていたからだった。
「大変なことになりましたね」
 電話対応が落ち着いた所で、担当だった編集部員が編集長に話しかける。
「原因調査も必要だが、まずは遺族に謝罪に行くぞ」
「はい。──しかし、気になっていることが」
「ああ。あの作品との関連だな」
「主人公と深く結びついて小説を書く作家が、主人公が死ぬ作品を書くとき」
「作家が死ぬ。そんなオカルト、信じたくないな」
「あり得ない訳ではないんですね」
「それを否定したら、作家を否定することにもなりかねん」

***

 とある小説家の遺作となった「とある小説家の結末」、まるで死を予期していたような作品はその不可思議さも相成って何度も重版が掛かる作家最大のベストセラー作品となった。太宰 治の「人間失格」をオマージュしつつ、作品は結ばれる。

「あの人の編集者、そう私が悪かったのですよ。無理矢理、あれを書かせたんです」
 何気なさそうに、そう言った。
「私達が好きだったあの小説家は、とても純粋で、よく主人公の心が読めて、あれで『神の視点』からの描写が出来れば、いいえ、それが出来なくても──まさに神様みたいな素晴らしい作家でした」

「これは、自分のことを書いているんですかね」
「さあな、それは、本人にしか判らない。描写を見る限り、そう疑わざるを得ない部分も多くあるが」
「でも、自分が感じていたこと、そのままなんですよね。最後の台詞」
「それは、皆が感じていたことさ。僕含めて、ね」
「なら、何故書かせたんです? 主人公が死ぬ話を」
「必要があると、思ったからさ。──あらゆる意味でね」

– Fin –