蛇の遣い

 何となく、だから。この駅に思い出なんて、別にない。ただ通過する、それだけの駅。
 気がつくと、私はこの、動物園に近い駅で降りていた。小さい頃に来たことはあるはず。でも大きくなってからは、最近まで付き合っていた彼とも、来ていない。自分の通う高校からも近いのに、何故行かなかったかは謎だ。この駅と隣の、私が通う高校の最寄り駅が、動物園の玄関口だ。
 黄色い壁面に動物の絵が描かれた、動物園の玄関としてふさわしいデザインとなっている。そんな駅だけど、とりあえず、外に出ることにした。
 一番出口から正面をみると、デフォルメされた動物のイラストが看板を飾る、動物園の入り口がちらっと見える。でもあまり行く気はしない。そんな気分じゃない。
 ふと地面に目を落とすと、そこには蛇がいた。しかも白い蛇。でもなんでこんなところにいるのだろう。動物園のある方は確かに森があるが、それは道の反対側。道路は片側だけでも三車線ある。とても渡ってこられるとは思えない。
 じっと観察していると、白蛇はゆっくりと身体をくねらせ動き始めた。一体何処へ行くのだろう。気になったので、追い掛けることにした。
 方向的には私の通う高校に向かっている。緩やかな上り坂。そこに、私の足を一瞬止めたものがある。
 上社。この地名を見るたびに、心がモヤモヤとする。緑地の名二環という高速道路の入り口案内に書かれただけのものだが、どうしてもあの時のことを思い出してしまう。そして、別れた彼のことも。元々浮気していたのは判っていたけど、形の上では一応、フラれた訳で。心残りがあることは否定出来ない。学校で会ったら笑顔くらい作るけど、実際は憂鬱だったりする。早く、忘れてしまいたいのに。
 それより、今はあの白蛇を追い掛けるべきだ。顔を上げると、白い蛇は少し先で、私のことを待っていた。いや、ようだったであって実際に待っている訳ではないと思うけど。
 坂を上り切った先に信号がある。蛇はその信号を渡っていった。車とかによく轢かれないものだ。青信号を待って、私も渡った。
 蛇はその交差点を左へと曲がる。森へ向かうというよりは住宅地へ向かう方向。アスファルト敷きの歩道に、白い蛇は目立つ。けど通りがかる人は気にせず、歩いていく。もしかしたらこの蛇、私にしか見えていないかもしれない。いや、むしろこの辺りでは普通の出来事なのか。
 住宅地へ向かうと思ったこの道路、実は森林に接しているようだ。途中にその公園と思われる入り口があったが、蛇はそこに入らず、まだ路上をくねっている。不思議な光景だ。道路は坂となり、左へとカーブする。その後右へ。また左へ。まるで蛇のように、森の端を進んでいく。
 そうして蛇を追い掛け、見えてきたのは異様な光景だった。いや、この街に住んでいれば聞いたことはあるんだけど。そこは、大量のお墓が並ぶ風景。斜面とか、そういうのは関係なく。そうだ、ここは「平和公園」だ。
 白蛇は、その一画へと入っていった。一体、何処へ向かおうというのだろう。でもここまで追い掛けたんだから。私はついていく。
 見失ったのは、一瞬。消えるかのごとく、白蛇の姿はなくなった。場所が場所だけに、何か不気味だ。ホラーものの映画なら、ここでゾンビに襲われたりする感じ。いや、それはフィクションの話だけどさ。
 蛇を探してお墓の間を歩いていると、とある男女の姿が見えた。着ているのは自分と同じ高校の制服。さすがに違和感があった。
 向こうも気が付いたらしく、女子生徒の方が私を邪魔するように立つ。
「誰です、あなたは。藤田先輩には手を出させませんよ」
「いや、同じ制服で気になっただけよ。あなた達のこと、知らないし」
「なるほど、私の知らない人のはずですね」
「で、何やってるの?」
 ここでやることと言ったら、お墓参りくらいだが。
「見ての通り、お墓参りですが?」
 しかし、高校生の男女が揃ってとは、どういう人物なのだろう。
「誰の?」
 その質問に、女子生徒は顔をそらす。代わりに答えるのは無言だった男子生徒。
「平川琴美っていう、女の子の、かな」
 ヒラカワコトミ。何か、聞いたことがある気がする。
「どういう子、ですか?」
「僕が好きだった、今も好きな、子、かな」
「もう、先輩は現実もちゃんと見て下さいって」
 ああ、この子はその、フジタ先輩ってのが好きなんだ。
「あ、私、柳橋喜久花といいます一年生です。先輩は藤田洸(みつる)先輩。二年生です」
「私は、遠藤琴音。二年生よ」
「じゃあ先輩ですね。先輩はどうしてここに来たんです?」
「何か、白い蛇がいたから」
「シロイヘビ?」
「ええ、東山公園駅の近くにいて、何となく追い掛けてきたの。もう見失っちゃったけど」
「そうですか……。ここで会ったのも何かの縁、勝負しましょう!」
 いや、何でそうなるのか。
「そのシロイヘビを先に捕まえたら勝ちです」
「勝ったらどうなるの?」
「藤田先輩を一日好きにすればいいです」
「いや、私にとって何のメリットもない気が」
 てか、フジタ先輩やらはいいのか。いや、同学年か。
「仕方ないですね、じゃあ今後一生、相手に何でも命じることが出来るってのはどうでしょう」
 いや、そんなものは要らないんだけどな。でも、まあ、さっきのよりはいいか。フジタ先輩のために。
「でも、どこにいるか判らないわよ?」
 そう言った瞬間、捕獲対象となった白い蛇が飛び出してきた。
「あ、いました!」
 キクカちゃんは走り出す。
「お墓は走らない! 危ないから!」
 注意しつつ早歩きで、私も追い掛ける。
 白蛇は道路へと出て、さっきまでの道を引き返す。そして公園施設の方へ。キクカちゃんはスカートをバタバタとさせ、時折どこかにつまずきそうになりながら、追い掛けている。その先に、誰かがいた。
 その人物は私達が追い掛けていた白蛇を掴む。
「あ」
 この勝負、引き分けかな。
「あ、すみません。追い掛けていましたか」
 何か幻想的な感じもするその少女は、こちらに気付いて謝ってきた。
「いや、別にいいんだけど……」
「その蛇を、渡して下さい!」
 でもすんなり渡すと思っていたが、離さない。
「ごめんなさい。ミドリが、白い蛇を捕まえてこいって言ったから渡すことは出来ないんです」
「ミドリ?」
「ボクの、ご主人さまです」
 主人と召使いの関係って、まだ日本にあったんだ。
「そうだ、ミドリと会いませんか。ミドリは外に出れないんで、友達とかも少ないんです。ゲームでは色々楽しんでいるみたいですけど」
 引きこもりってことかな。何らかの事情はあるんだろうけど。学校でいじめられた、とか。
「藤田先輩も、いいですか?」
 結局は三人とその「ミドリの召使い」やらとで、行くことになった。

「おかえり、アオ」
 ドアを開けると、少女の声が奥から聞こえる。この召使いやらの名前は「アオ」というらしい。
「ただいま、ミドリ。お客さんがいるけど、いい?」
「お客さんなんて、久しぶりね。いいわよ」
 許可を得たので、靴を脱いで上がる。ミドリさんはベッドの上にいた。枕元にはキーボードが置いてあり、近くには巨大なディスプレイ。そしてそれがつながっているらしきパソコンの本体が、うなり声を上げている。これ、ものすごい性能で、ものすごい高いんじゃないのか。
「ごめんなさい、私、ここから動くだけでも一苦労だから」
 そんな脆い身体なのに、家には二人きりなのか。不思議な空間に思える。
「あなた達は、私がアオに命じた白蛇を追い掛けていたのよね?」
「ええ、そうです」
「白蛇の意味って知ってる? 生物的にはアオダイショウの白変種だけど、神の遣いとされてきたの」
「神の、遣い?」
「そう。あなた、何か困っていることとかない?」
 確かに、ある。
「……最近、彼に振られたんです」
「そんなの、気にしてたらきりがないわよ? さっさと切り替えなさいよ」
「でも」
「振ったことを後悔するような魅力をつければ、それだけでいいわよ。そんな男にこだわる理由とか、ある?」
 そういえば、ない。
「もうそんなの、終わりにしちゃいなさいよ。かっこよく振られたくて、でもそれが出来なくて、困っているだけ。かっこ悪いとか、気にしちゃいけないんだから」
 どうしてこの、世間から大きく離れている少女に、私は勇気をもらっているのだろう。ああ、世間離れしているから、逆にズバっと言ってくるのか。
「付き合っていた人の家とか、行ったことある?」
「家はないですけど、その地元なら」
「じゃあ、そこで全部、吐き出しちゃえばいいのよ」
 突然気持ちが、スカっとした。
「じゃあ、行ってみます」
 私と同じ名前、「コトネアスター」の花の咲く上社へ。もう一度行こう。そう、心に決めた。

おわり