青リンゴ

「青リンゴが欲しい」
 彼女がそう言った。体が弱くて、余り外を歩き回れない彼女だったから、ボクが代わりに探すことになったのは当然だった。
 ボクはずっと、彼女の召使いというか、色々彼女の手助けをしている。この家には彼女とボクしかいないから。何でそれを始めたのかはもう解らない。思い出せる最初の記憶は、アオっていう名前を、誰かに与えられたことだけ。でも彼女は誰かの助けなしでは生きられないのだから、そう考えるとボクがこうして彼女の命令を聞いているってことは少し誇りだった。
 リンゴだから、果物屋さんに売っているはず。ボクは行って、店のおじさんに聞いた。青リンゴ下さい、って。おじさんは、ちょっと待っててな、そう言って店の奥に消えた。やった、最初の店で見つかった。そんな嬉しさが抑えられなくて、あやうく辺りを駆け回る所だった。
 でもおじさんの出してきたのは青リンゴじゃなかった。違う。ボクは本物の青リンゴを出してくれと言った。違うのかい? じゃあ解らないなぁ。結局おじさんは、それしか出してくれなかった。しょうがないから、ボクは違う店へ行った。
 でも、そこに行っても、青リンゴはなかった。色んな所を回っても、ない。もしかしたら、食べ物ではないかもしれない。彼女は食べたい、ではなく欲しいと言ったのだから。何かの機械かな。そう思って、家電量販店へ行った。
 青リンゴありますか? 店員さんは少し困った様子で、少々お待ち下さいと言った。どこかと連絡を取っているようだった。それから言った。ごめんなさい、うちでマックは取り扱ってないんですよ。
 よく解らなかったが、次の店へ行った。同じように聞いた。答えはこうだった。青となりますとかなり古い機種になりますね。残念ですが、ここでは中古パソコンは取り扱っていないんですよ。そういう店か、オークションなどを探してみてはいかがでしょう、と。
 しかし彼女がそんな古いパソコンを欲しがるだろうか。むしろ、最新式の、処理速度が速いのをお望みのはずだ。普段から「早く動いてよね、このクズ!」とか言っている人だから。あまり動き回れない彼女の唯一の楽しみといえるのがゲームで、外の世界の疑似体験的な役割も持っている。もちろん実際に体験するのが一番いいのだろうが、それは不可能。彼女にとってゲームは自身の世界の大きな要素だから、思い通り動かないと怒りだすのだ。そんな訳で、機械の類ではなさそうだ。
 では、青リンゴって、何なんだろう。すると白衣を着た男が話しかけてきた。キミが本物の青リンゴを探している子だね、と。付いておいで、分けてあげるよ、と。やさしそうなおじさんだった。
 男に連れられたのはどこかの研究所のようだった。男はそこでとあるものを差し出した。本物の青リンゴだった。これぞ、青リンゴ。喜び勇んで、ボクはそれを持って帰った。
「遅かったわね」
 彼女は言った。どこか、寂しそうだった。ごめん、遅くなった。そう謝ると、
「ま、しょうがないわね」
 彼女は許してくれたようだった。
「で、ちゃんと買ってきたんでしょうね?」
 はい、とボクは持って帰ってきた青リンゴを彼女に渡す。彼女は不思議なものを見るような顔をした。
「これ、何?」
 青リンゴだよ。ボクが言うと、
「これが青リンゴ?」
 そう聞き返してきた。そしてその瞬間、頭部に強い衝撃が走った。彼女がその青リンゴをボクに投げつけてきたのだ。
「私が頼んだのは青リンゴ、グリーンアップルよ?」
 グリーン、アップル? でもでも、これは青リンゴだよ? おじさんが言ってた。普通のリンゴが紅玉、ルビーならば、このリンゴは蒼玉、サファイアだって。色々と試行錯誤して、ようやく完成した努力の結晶だって。
「だったらエメラルドが欲しかったわね。あと、サファイアは青色とは限らないんだけど。……そうね、こんなの知ってる?」
 彼女は突然、口ずさみ始めた。

「さよなら三角、またきて四角。
四角は豆腐、豆腐は白い。
白いはうさぎ、うさぎは跳ねる。
跳ねるはカエル、カエルはあおい。
あおいはヤナギ、ヤナギは揺れる。
揺れるは幽霊、幽霊は消える。
消えるは電球、電球は光る。
光るはオヤジのはげ頭」

 あれ、カエルって青いの? ボクは疑問に思った。だから聞くと、
「やっぱりね」
 と言う。何が、やっぱりね、なのだろう。
「純粋な青、ブルーだけじゃなくて、緑系統の色に対しても『あおい』って使うのよ? 例えば、信号機の色は?」
 赤、黄色、青かな。
「外国では赤、黄色、緑なの。日本でも元々そうだった。『あお』ってのは時々、緑も示すのよ」
 ああ、だから果物屋さんのおじさんは、緑色のリンゴを出してきたのか。ボクはようやく、大きな勘違いをしていたことを理解した。
「私の名前の字もそう。碧《みどり》って漢字は『あお』とも読めるのよ」
 彼女は手元にあったシャープペンシルでその文字を書き、上にみどり、下にあおと振る。あ、そっか。ボクがここにいる理由。彼女を助ける理由。彼女とボクは一心同体だから、ずっと彼女のそばにいてあげてと、誰かに言われたのだ。その時、ボクは一つの名を与えられた。そう、彼女に与えられた名だ。それが、アオ。碧っていう字の、二つの読み方の一つ。
「ねぇ、ずっと一緒にいてくれる?」
 突然彼女が、不安げに聞いてきた。ボクが頷くと、彼女はほっとした様子を見せた。
「ごめん、疲れたから今日はもう寝るわ」
 おやすみなさい。ボクはずっと、彼女の寝顔を見ていた。

おわり