失った話と、蘇った話。

 小説を書けなくなったのは、いつからのことだったか。突然のことではなかったはずだ。だんだんと私の心は蝕まれてき、まず生活へと影響を与え始め、最後の方になって小説の読み書きすら出来なくなっていった。
 何故書けないのか。書けなくなっていくという自覚は少しずつ出てきていた。昔書いた作品をリメイクすることが増えてきていた。アイディアを考えることが、限界かもしれなかった。
 それでもまだ、書けてはいたのだ。それが、書けなくなった。自分の考え出したものを外に出す、それを生きる理由にしてた自分にとって、致命的といえるようなものだった。
 何も、浮かばなくなった。何も、出来なくなった。それでも自分の力が戻ってくることを信じ、未来のために、生きていた。

 そんな、春を過ごした。

 説明的な、簡単な動画の台本くらいなら書けるようになったのはしばらくたってからだったろうか。動画作りは小説書きと並ぶ、自分のもう一つの創作の柱だ。何もしないのはいけない、何かしらの創作をしなければ。そんな風に思って。でも、物語になるとそうはいかなかった。書けない。その状態がしばらく続いた。何も物語が浮かばない。あったことをツイッターに書く、そのくらいは出来たけど、そのくらいが限界だった。

 そんな、夏を過ごした。

 自分から動くのが怖くなっていた。もともと人見知り的な性格はあったけども、それが顕著になってきていた。ただ、アルバイトだけを続けているようなものだった。そのアルバイトに原因の一端があることは自覚していたが、続けざるを得なかった。

 そんな、秋を過ごした。

 動画作りでは一応、新しい企画を立て始めていた。しかし第一回の脚本を書いたはいいものの、あまりにも説明くさい。そのような自覚がありつつ。
 書けないんだから仕方ないじゃないか。動画としてつまらなくても、それが今の自分の出せる力なんだから、仕方ない。諦めとともに、動画を作り始めていた。動画の素材は、すでに出来ているものを改めて紹介する。やっと病院に行けたのも、冬だった。

 出会いは突然だった。年が変わる少し前、クリスマスが過ぎた頃、私はとある動画に出会った。その動画サイトの企画の一環で投稿された、六分少々のストーリー。ゲームの中で進行するストーリーに、実写の場面が挿入されていた。そこに映ったのは、名古屋の公園。名古屋に住んでいれば大体の人がわかる、場所。
 私はその投稿者に興味を持った。名前は前から聞いたことのあった、という事情も後押しした。投稿者から遡る形で、代表作ともいえるシリーズを一気に見た。途端にファンになっていた。
 しかしどういう人なんだろう。私はツイッターからその彼の情報を集め始めていた。なるほど、演劇をやっているのか。どういう劇団なのか。私は調べるのに夢中になっていた。そして、出てきたワード。それは自分にとって身近な、でも一番遠くなっていたものだった。しかしその一つの固有名詞が、力を与えてくれていた。
 もしかしたら彼は、自分の後輩なのかもしれない。
 もちろん面識がないことはわかっている。しかしその事実が、ダムを決壊させたかのように。私には創作欲が戻ってきていた。それは、負けられない、という気持ち。創作という舞台では負けていられない、という気持ち。
 気がつけば、音声と映像の素材を集め終わり編集段階に入っていた動画を投げ出していた。ああ、この動画はつまらない。わかっていた。わかっていてつくっていた。だから、全部作り直す。しっかりとストーリーを組む。魅力的な動画へと、この甦った創作欲をぶつけて、作り変えるのだ。
 あれからてっきり見なくなっていた夢を見始めていた。そのくらい、創作に対する欲が生まれ始めていた。

 そんな、冬を過ごした。

 春、四月一日。エイプリルフールのこの日に合わせて、動画を投稿するイベント的なものがある。私は、ストーリー動画を投稿した。作り直すと決めた動画ではなかったけど、確実に私の創作欲を満たす、動画の一つになった。力が、確実なものになってきていた。
 まだ小説を書くには力が足りない。少し不安定なものにはなってきている。けど、取り戻すのだ、私は。力を。
 力を取り戻すきっかけになった彼への、一番近い「鍵」をその後私は手に入れている。しかしその「鍵」を使ったところで、自分の「思い込み」が間違いだったら。今生まれている創作欲はどうなるだろう。そんな不安は、付き纏っていた。だったら、使わないでおくのもいいかもな、そんな気もしている。
 けど勝手に会いに行くのはいいよね。私は彼の所属する劇団の、チケット予約フォームの送信ボタンをクリックした。

 夏が、近づく。

 私は、会いに行こう。

 私は、書こう。小説を。

 再び。